忘れようとしても忘れえぬ

先日、通っていた大学の卒業式を終えました。ありきたりな言葉ですが、自分の学生生活に関わってくれた全ての方に感謝しています。


学生生活の間ついに拭う事のできなかった胸のつかえを取り除くべく、外出自粛要請でめちゃくちゃ暇になったことも重なり、二度と書くことのないであろうブログを書いています。レポートの授業を避け続けた4年間を過ごした自分には文章力のぶの字も無いし、そもそも自分のために書くブログに読みやすさもクソもありません。暇なら読めばくらいの雑な文章が最後まで続くことを先に言っておきます。同時に、関係のない人にとっては本当に関係なく、ゴリゴリに重苦しい内容が続くであろうことも言っておきます。


『忘れようとしても忘れえぬ』。東日本大震災当時、立教新座中学校高等学校校長を務めていた渡辺憲司さんが、卒業式を中止した立教新座高校3年生に宛てたメッセージの一節です。3月に入るたび、卒業の時期を迎えるたび、東日本大震災当時の自分に訪れた忘れようとしても忘れえぬ経験を思い出します。この経験についてが、このブログを書く目的であり、自分が吐き出したいことであり、一部の大切な友人に見られたいことです。


東日本大震災が直接の原因となったわけではありませんが、2011年の3月、父を失いました。信じられなかったし、本当に苦しかった。どれだけ時間が経っても、夜に部屋に1人でいるときに涙が止まらなくなることがあった。誰かに言うことで自分がかわいそうだと思われるのが嫌で、ほとんど誰にも言えないまま今日までを過ごしました。このことについて、嘘をつき、正直になれず、気を遣わせ、迷惑をかけた人が多く思い当たります。申し訳なかったです。何より、父に対し、情けなく、申し訳ない気持ちで一杯です。人と接することが怖いと思うようにもなりました。それでも仲良くしてくれた友人に感謝しています。


それからは、後ろめたかったり、憎いと思ったり、常にネガティブな感情の連続でした。小学生の頃に始めて、大人になっても第一線で続けていたいとさえ思っていた野球を中学校の部活引退と同時に辞める決断をしたときは、人生で一番辛い瞬間でした。高校に入学する頃には気持ちの整理がついていたと思っていましたが、憧れだった高校野球に一生懸命取り組む友人と、高校入学とほぼ同時にアルバイトをするようになった自分を比べ、毎日苦しかったです。「なんで自分だけが」と思うばかりだったし、この時期は「なんで野球辞めたの?高校野球やればよかったのに」と言われ続け、自分が正直に理由を話せないのが悪かったのに、聞いてきた友人を恨みました。


アルバイトの話が出ましたが、高校2年生の頃は、高校を出たらアルバイト先でそのまま働こうと思っていました。社員の方は高卒の方も多かったし、自分が高卒になることについて、当時は何の迷いもなかったと思います。ただ、母は大学進学を勧めてくれました。思い返せば、アルバイト先でそのまま働くという自分の考えはあまりにも短絡的だったし、長期的な視点を欠いていたと感じています。学費の安い国公立大学に進学できるような頭も持ち合わせておらず、奨学金制度の充実した某早慶にかすりもせず落ち、結局は学費の高い私立に進学した自分に何も言わなかった母にはいくら感謝しても足りません。


大学進学後も、ネガティブな気持ちはついて回りました。その1番の原因は兄でした。よく兄が嫌いという話をし(てしまい)ますが、兄は2度の浪人を経て、言葉を選ばずに言いますが、自分よりも馬鹿な大学に進学しました。普通に進学していれば社会人として働いている年齢になっても大学生をやっている兄の姿を見て、この時ばかりは自分もだらけた大学生であることを忘れ、心の底から兄を憎みました。「そんなに言わなくても…」と言ってくれるような人に愚痴を聞かせたことを申し訳なく思いますが、今でも兄を憎む気持ちは変わりません。

また、自分の周りには、高校を辞めて社会に出た友人がいて、高校や専門を卒業後に働き始めた友人が多くいました。その姿を見るたび、自分の不甲斐なさを恨みました。経済的に余裕があればこんなことを気にせず悩まなくてもいいと、周りの友人を羨ましく思ったりもしましたが、そんなことを思ってしまう自分をまた恨みました。


ここまでが自分の抱えていたネガティブな感情の全てです。自分の経験を言い訳にするつもりはありません。この負のオーラに思い当たる方がいたら、改めて申し訳なかったです。


「いや私立大学行っといて何言ってんねん」という方もいると思います。本当にその通りです。芯の強い母と、数は多くないけれど大切な友人のおかげで、大学卒業の時を迎えました。大学で過ごした4年間は本当に楽しかったし、大学に行かなければ得られない経験の連続でした。自分の中にあったネガティブな感情は今は消えて、社会人として働くことに対して晴れやかな気持ちでいます。このクソみたいなブログも、胸のつかえを取り除く一助となったと自分で書いておいて勝手に思っています。


最後まで読んでくれた方、もしいたらありがとうございました。いやこのブログが読んでくれてありがとうのやつなのかも自分でもよくわかりません。とりあえず、少しでも読んでくれた人の腑に落ちるところがあれば幸いです。